皆さんこんにちは。
けびんの部屋へようこそ。
さて、今回の記事はじっくり考察シリーズです。
僕の考えたこと(無駄かもしれない)を面白おかしく伝えていこうという新しい試みです。
あくまで一個人の意見ですからあまり本気にならず「飲み屋でけびんがなんか語ってるよ(笑)」くらいの感覚で読んでいただけたら嬉しいです。
実はこういう記事を書きたくて第一ブログ「けびんの考察部屋」を開設したんですけど、無駄に考察ばかりするものですから文章量が増えてあんま更新できなかったんですよ(笑)
なので第二ブログでは反省点を生かして「気軽に・短く・そこそこに面白く」を目標に頑張っていこうと思います。

今回の考察は第一ブログから引っ張ってきたやつだから長くなっちゃうけど許してね!
それでは今回の考察に入っていきましょう。
結果と過程どちらが大切なのか


結果と過程どちらが大切なのか
今回の記事はタイトルにもありますように、ディベート、面接の大定番!!
結果と過程どっちの方が大切なのか
について考察していきたいと思います。
皆さんは結果と過程どちらの方が重要だと思いますか?このような問題には答えがないので回答は二択ですが理由は十人十色でしょう。
結論から言うと僕は結果の方が大切だと考えています。
僕がなぜ結果の方が大切だと思うかについて説明する前にまずこの記事を書こうと思ったきっかけを説明していきます。
結果を意識して努力を重ねるということ
この記事を書こうとしたきっかけは、ざっくり言うと、最近たびたび起こる弟と親との論争です(笑)
勉強に関する考え方の違いから意見がぶつかっているようです。
満足のいく成績を取ってこないのに割と遊んでることを厳しく戒める親。
勉強はしているけどいくらやっても結果が追い付かないからしょうがないと主張する弟。
その争いをニヤニヤしながら聞く僕。



ニヤニヤすんなし
確かに両者の主張はわかります。
僕は弟と同じ学校に通っていたので弟が頑張っているのは知っています。
テスト期間は毎回、図書室にこもって勉強をしていたのをみていました。
なんなら僕よりやっていました。
でも結果はあまりよくないようです。
きっと要領がよくないのでしょう。
ぜひ僕の凡人の僕が学年上位を維持してきた勉強法を参考にしてもらいたいところなんですが自分の力で何とかすると意地になってなかなか話を聞いてくれません。
困ったものです。
この時まで弟の成績が努力に見合わないのは、単に「要領が悪いから」だと思っていました。
しかし論争の中で追い詰められて弟が放った、「だって、いくら頑張ってもできないんだったら仕方ないじゃん。」という言葉を聞いて僕の考え方は変わりました。
たぶん弟は
「成績を上げるために頑張って勉強をしている」のではなく、「頑張って勉強すれば成績が良くなる」
と思って勉強をしているのでしょう。
皆さんはこの違いがわかりますか?
前者は「頑張って勉強をする」ということが「成績を上げる」という具体的な目標を達成するための行為なのに対し、後者は「頑張って勉強をする」ことの付加価値として「成績が上がる」ということなのです。
つまり後者の場合「成績を上げること」が目的になっていないんです。



目的変わっちゃってんじゃん!ってやつだね
では何が目的となっているのか。
「頑張ること」です。
「頑張る」ために「頑張っている」のです。
このことから後者では「頑張っている」時点で目的が達成されてしまっていることがわかります。
これはこの二つの考え方の決定的な違いであり、結果に大きな影響を与える要素となっていると思います。
頑張るために頑張るということ
でも考えてみれば当然ですよね。
わかりやすい例を出すと前者は自分さえ理解できれば問題ないくらいの気持ちで汚いノートをとっているけど、成績が良い奴。
後者はノートがこれ以上にないほど綺麗だけど成績が悪い奴です。
前者はノートは勉強するためのものであり、自分が勉強できればそれでいいのでノートは読めさえすればよいと考えています。
対して後者はノートをきれいに書くということが目的となってしまっているため本来の勉強という目的を完全に忘れてしまっている状況です。
これでは本末転倒です。
ややこしくなるのでノート提出はないものとします。



ノート提出込みだと「ノート綺麗=加点」になっちゃうからね
こういう対照的な人、クラスに一人ずつくらいはいるのではないでしょうか。
こういうたとえが皆さんに通用することからも分かるように目的をしっかり意識することはそれを達成する過程において非常に大切なんです。
自分を客観視できないと頑張るために頑張ってしまう
では僕はこのロジックをもとに弟に「お前は頑張っている自分に酔ってるだけで、実は効果的な勉強ができていないんだよ」といえばいいのでしょうか。
言い方はあれど、どんな言い方をしたところで弟には納得してもらえないでしょう。



間違いなくキレるよね(笑)
それはなぜか。
本人はそう思っていないからです。
きっと本人の中で、自分は「成績を上げるために勉強している」のでしょう。
でも実際は違う。
これはその目的を達成しようと強く思うがゆえに今自分が置かれている状況を客観視できていないからです。
「熱くならずに冷静に自分を見つめなおせ」なんていう言葉があるのはこのためなんだと思います。
日常生活では、結果と過程のどちらを意識すべきか


ではこのような話を踏まえたうえで皆さんにもう一度聞きます。
結果と過程どちらの方が大切だと思いますか?
先ほども言いましたが僕は結果の方が大切だと思っています。
そして過程の方が大切だと思う読者の皆様の気持ちもわかります。
しかし、その過程も
結果を意識して努力した時の過程だと思いませんか?
そう、結局過程の大事な部分も「結果を意識する」という要素を含んでいるのです。
ですから、この場合過程のみを意識して努力をするより、結果を意識して努力をする方が過程の質も上がるのです。
つまり結果を意識するということは過程を意識するということも含むということなんだと思います。
それ以外にも過程のみを意識してはいけない理由があります。
それは社会に出たら過程は評価対象にならないからです。
個人的にはこれがデカいと思います。
僕の弟は言いました。
「だって、頑張ってもできないんだったら仕方ないじゃん。」と。
では、仮に今はこの言葉で許されたとしましょう。
「そうだな。お前も頑張ってるもんな。」と親が納得したとします。
しかし、大学に入学してから、社会に出てからでも果たして同じことは通用するでしょうか?
通用しませんよね。
大学の定期試験で、点数が足りなかったため単位がもらえず、単位が足りなかったために卒業できませんでした。
「でも先生!僕死ぬほど頑張ったんです!」通用しませんよね。
社会人になって会社で働くことになりました。
いくら頑張っても仕事ができません。
上司になんでできないんだと怒られます。
「部長!でも僕頑張ったんですよ!」
通用しません。
そう、残念ながら今の社会は過程のみを評価してくれないんです。
これは日本人の感覚からすると社会の裏の部分(理想ではないもの)を見ているような気になりますが、本当は当たり前のことなんです。
しかも、人間界のみならずこの地球上の生き物すべてがこの弱肉強食の原理の中を生きています。
結局、結果を出せる強いものが勝ち、結果を出せない弱いものが負けるのです。
ですから日常生活においても結果と過程どちらの方が大切かという問いの解としては
日常生活で意識するという点に関しては、結果を意識した方が過程を意識した時よりも得られるメリットが大きい
というのが解になると思います。
入社試験などのGD試験では何といえばいいのか


では、入社試験のGDなどで「結果と過程どちらの方が大切なのかについて議論してください」という試験があった場合、はたして結果と過程のどちらの立場で話をするべきなのでしょうか?
僕は今までさんざん結果が大切だといってきましたがこれはあくまで日常生活でのことであり、しかもニュアンスとしては「結果を意識した過程を踏むことが大切」という主張をしてきたのでこれではGDなどではどちらの立場に立てばいいかわかりません。
しかし答えはシンプルです。
あなたが大切だと思った方を選ぶこと。
これがGDにおける最適解です。
なぜならGDなどでは答えが決まっている質問を問題にしているわけではなく、あえて答えが決まっていない質問をすることでその人がそのグループの中でどのように発言するのか、グループにどのような利益をもたらしてくれるのかを見ているからです。
つまり、論理的に自分の主張をすることができるならどちらの立場かは問題ではないということになります。
余談ですがGDに関しては論理的に話し、周りの意見をまとめることだけではなく実際にあった例など、状況に該当した具体例を挙げて話を進めることもポイントになります。
ぜひ参考にしてみてください。
まとめ
さて今回は結果と過程どちらの方が大切なのかということについて考察をしました。
最終的には
日常生活を生きるうえでは、結果を意識したほうがより質の高い過程を生み出すことになるので結果を意識するべきである
という答えを出しました。



まあ、問いの答えとしてはずるいよね(笑)
しかしこれも結局は僕の一個人としての意見です。
実際、結果と過程どちらの方が大切なのかという問いは永遠に解を持たない問いだからこそディベートなどの大定番議題となっています。
僕のこの考えがあなたの生活のどこかに役立つことを願って、今回のじっくり考察とさせていただこうと思います。
それではまた他の記事でお会いできるのを楽しみにしています。